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第1期特集

SiGnalが行く冬の青春18きっぷ

(第1回)

「青春18きっぷ」で新春を旅する

谷岡也寸志

※SiGnal刊『「青春18きっぷ」の旅 傑作選』の「おまけ」ページでは「Aさん」で紹介されています。

map 2004年1月7日水曜日、松の内も終わろうとするこの日、(株)SiGnal発足にともなう目玉のひとつとして企画された、編集部員による「青春18きっぷ」の旅のトップランナーを務めるため、早朝の中央線で信州をめざした。

 この日は、冬本番を迎えている1月の天気にしてはうす曇りの暖かい日で、早朝の旅立ちにもかかわらず、身に凍みる寒さとは縁遠い穏やかさだ。

 当たり前のことだが、青春18きっぷはJRの企画乗車券であるから、編集子の住む京王線では使えない。普段中央線の下りを利用する場合のアクセスは、高尾を利用するのが常だが、当日はダイヤ接続の都合上、分倍河原からの利用となり立川へ出ることにする。分倍河原は京王電鉄への業務委託駅でJRの職員はいないから、18きっぷの出発駅としては旅情に欠けるような情景だが、あまりそんなことにこだわるのもやめておく。

 分倍河原から南武線に乗り、立川から中央本線を下る鈍行列車に乗る。ここからが旅の本番である。世間では正月気分も一段落して仕事や学校へと日常生活が始まっているわけだが、平日とはいえ、なにせ早朝5時を少し回った時間であるから大して乗客もいないと思ったら、用務客とは装いを異にする、中年から初老にかけたハイカー風の方々があちらこちらのボックスに陣取っているではないか。見たような切符をお持ちの方も見受けられる。

 こういう場合、一人旅の経験がおありの諸兄には酌んでいただけると思うが、同好の士という親近感よりは自分と同じような志向性を持つ輩があちこちにいると考えると、あまりいい気持ちがしないのである。まあ、日常から一歩離れて旅情に浸りたい中年の編集子としては、旅のはじめに余計な思案もやめておこう。

 中央本線の中距離普通列車にはまだ、つり革の下に、"長い座席は7人掛け"とか言う車掌の車内放送とは違う、2人ずつが向かい合わせに座れるボックスシートが結構残っている。列車の車内で弁当を広げたりアルコールを口にするにはこれでないと具合が悪い。見知らぬ人とでも、ここに座る幾人かとは互いを自然に受け入れるコミュニティーができあがるから、握り飯を食べようがワンカップをちびりと舐めようが暗黙に許容する。けれど通勤電車の長い座席で何か口に運ぼうものなら、車内全員を敵にまわしているような気分に襲われるのだ。

 朝から一杯やっていこうというわけでもないのだが、汽車旅での遭遇にあれこれ気を巡らしているうち、7時過ぎに甲府を出た鈍行列車は、韮崎から小淵沢にかけて、車窓の山並みを縫うように勾配を稼ぎながら上っていく。今日は真冬の快晴とはいかぬものの遠望は利き、南アルプス西端の薬師岳、観音岳、地蔵岳の鳳凰三山が眼前に聳え、甲府盆地を振り返ると霊峰富士もどっしりと構えている。車窓右手には茅ヶ岳が望める。この山は『日本百名山』を著した深田久弥が晩年登山中に急逝した百名山のひとつだが、山岳作家の終焉のあり方としては究極の顛末であろう。編集子の行く末は……、と考えながらどうせ大したことは起こるまいと、窓に目を転じた。

 日野春から長坂にかけては、甲斐駒ヶ岳が真っ白な山容を誇りながらその後ろに富士山に次ぐ標高の北岳が頭の先を僅かに見せている。進行右手のボックスに移ると手前の編笠山から赤岳に続く八ヶ岳連峰が、朝日を浴びて線路まで山裾を延ばしている。中央線の新宿松本間の車掌を長く勤めた山村正光さんが著した『中央線から見える山』は、異例のロングセラーとなったが、四季を通して移りゆく車窓の中でとりわけ冬が美しいと言う。頷ける思いだ。

 諏訪盆地に入り諏訪湖の湖面を窺うと、今冬は暖かいのであろう、やはり結氷はしていないようだ。暖冬と叫ばれるようになる十数年前までは、毎年当たり前のように湖面がすべて結氷をして御神渡りといわれる自然現象が見られたそうだが、以前、諏訪の知人に「御神渡りが現れるときは、竜の鳴き声みたいな恐ろしい響きがするんだってねぇ」と言ったら、「そんな音するわけねえ」と無下に返されたことを思い出した。今年は6年毎の大祭、御柱の年だ。諏訪の人々も特別な正月を迎えたことだろう。

 松本着は9時をちょっとまわったころ。ここまで腹に納めたものはコンビニで仕入れたお握りや菓子パンの類で、そろそろ汽車旅につきものの弁当やそばなどを食べたくなってきた。大糸線ホームに入ると信州そばと銘打つ駅そばのつゆの香りが漂う。引き込まれそうになるものの、この先もっと舌鼓が打てる幻想に駆られて我慢する。この我慢が大徒となり何もありつけぬ苦汁を舐めたことが間々あるが、この先にはもっといいことが待っていると人は儚くも期待するものだ。

 松本駅の跨線橋から北アルプスを眺めると、左右の稜線がきれいな均等を描く常念岳が望め、その東には名峰槍ヶ岳が剣先だけを覗かせている。松本盆地は山に囲まれた都市である。まあ、長野県なんて何処もそうなのだが、西に穂高や槍が聳え東に美ヶ原の高原が懐深く構えるこの地は、岳人にとって替えがたい安らぎを与えよう。国宝松本城を根城にした武将たちは、かつていか様な気概を持ってこのパノラマを眺めたのだろうか。

 煉瓦造りの建物や塀が安曇野に溶け込む碌山美術館を見遣りながら信濃大町に近づくと、爺ヶ岳、鹿島槍、五竜が顔を見せる。種まき爺さんの雪形から名前がついた爺ヶ岳だが、何度見てもどこに種まき爺さんがいるのかわからない。

 白馬を過ぎ信濃森上にかけては、白馬三山の雄大な姿が窓枠の額縁の中を飾る。大糸線から望む北アルプスの眺めでは一番の見所であろう。絶景を堪能することはエネルギーがいるようだ。かなり腹がへってきた。

 終点の南小谷に着く。ここまでがJR東日本でこれより先は西日本の路線となる。狭隘の小駅でまず考えたことは、とにかくうまいそばを味わおうと言うことだ。編集子は、見知らぬ土地へ赴くと、とりあえず郵便局へ立ち寄ってみようとする他愛のない癖がある。別にジャパンポストと縁があるわけでもないし、どちらかと言うと官に対しては一家言含む口である。でもちょっと寄ることで旅の記しになるのでそうしている。そこで仕入れた旨いもの処の話をもとに近くの蕎麦屋へはいった。そこそこに美味く、そこそこにもてなしが良かった。旅人なんてそれで嬉しいのだ。しかし、せいろ2枚と地酒の枡3つで5000円は痛い。しかしまあ、良しなに計らう旅となれば、散財と決めつけなくてもいいだろう。

 麗しい川の名前とは裏腹に、暴れ川そのものの姫川伝いに大糸線は糸魚川へ向かう。線路に沿う国道は土建国家の名の下にいつの間にか山を貫き、姫川から離れていった。10年近く前、大糸線は集中豪雨で数年間も寸断されたことがあった。しかし線形がいく分変わったものの、今も大糸線は姫川に寄り添って走っている。

 糸魚川に着くと、新潟寄りの背後には黒姫山が現れる。この季節、雪にまみれた黒姫は雄大だ。そう、ここ糸魚川は新潟県である。こどものころ日本地図を見たときに、新潟県は背中が反った鮭みたいだと思ったことがある。とにかく東西に長く、ここは西の外れに当たる。この糸魚川では、愚ともつかぬこの旅一番の骨頂があるのだ。日本海を見なくてはいけない。駅前から海に向かう通りを進んで10分もかからぬうちに、国道を波打ち際にして日本海が望めた。

 別に日本海を初めて見たわけでもないし、石川さゆりの歌は好きだが取り立てて感傷に浸れるほどの風景でもない。しかしいつも思うのである。ここまで来たなと。それは濱谷浩の写真集のタイトルにもあったが、その昔、格差を象徴する俗称で裏日本と言う言葉が当たり前のように使われたこと、鉛色の空、瞽女、芭蕉……。編集子にとって、なぜか脈絡の無いひとつひとつの想いが日本海にこめられているのである。

 糸魚川の町は、厳冬の1月とは思えぬ暖冬でぽかぽかである。道端の残雪もなく凪のような日本海をあとにして、直江津に向かう。糸魚川と直江津間は度重なる線形変更でトンネルまたトンネルである。電車はかなりのスピードで飛ばすが、停まる駅を乗り降りする人影はまばらだ。トンネル駅の筒石など一人立ち寄りたい衝動に駆られたが、いずれの日にか機会を譲ろう。直江津の手前でJR西と東の境界となる。この日、ほんの一部にだけ足を記したJR西日本は、全国区の国鉄から分割されたとはいえ、西端の下関から直江津までは千キロを超える巨大な鉄道会社だ。

 直江津の駅勢圏を一巡りする。今は高田と併せて上越市となったけれど、海が開けた海運の町と雪に閉ざされた雁木の町が同じ括りとなることは、当時の人々は自然に受け入れられたのだろうか。まあ、それも余計なお世話か。

 信越本線は文字通り信州と越後を結ぶ路線であった。しかし今や直江津と長野の間は長野新幹線開通により、「しなの鉄道」とともにただのローカル線である。16時ごろに直江津を出た長野行きは、黄昏に覆われた雪の山並みを南下していく。二本木駅では、こんな幹線に未だにあるのかと思うような見事なスイッチバックのホームに滑り込み、旅の風情を醸し出す。次の関山駅も、かつては堂々としたスイッチバックだった。

 妙高高原の駅名は、昭和44年までは明治時代の開業当時から字名を取って田口と呼ばれた。駅名改称の意味を旅路の中でしばし考えさせられた。平成の市町村合併が進む中で、古くからある名前が消えても、そこにすむ人たちの後の世代まで心のひだに刻まれていくか、あるいは次に与えられた名前に取って代わられていくかのどちらかであろう。

 かつて中央線の与瀬駅が相模湖駅になったとき、そこに営む人々や氏子を祭った与瀬神社がどう抗えたか、近年では初鹿野駅が甲斐大和に変えられたとき、駅名由来の初鹿野氏が仕えた武田信玄公は如何様に思ったろうかとか。まあいい、考えても何が変わるわけではない。

 17時半に長野着。陽はとっぷりと暮れ、さすがに内陸の長野駅は寒い。次に乗る甲府行きまで30分の待ち合わせだ。これからの行程は一路東京に戻るのみで、ここ長野で旅のほとんどが終わったと言ってもいいくらいだ。となると、長野からは新幹線を使えば20時過ぎには自宅の風呂に浸かれる計算である。常人はこれを選択しよう。しかし、この企画では新幹線の予算は組まれてはいない。『「青春18きっぷ」の旅 傑作選』の巻末では、トラベル・ジャーナリスト氏に「筋金入り鉄道ファンの無謀なルート」と評された。しかし筋金など入っておらず、不惑を疾うに越えた編集子としては身体を気遣いたいのはやまやまなのだが、職務を企画どおりに遂行するには、やはり鈍行列車で帰ろう。けっしてお金が惜しいのではなく、ましてや無いわけではない。

 売店でつまみと乾杯のビール、ワンカップを二人分買い込み甲府行き普通列車に乗り込む。これから東京まで約5時間、自分と会話をしながら、ちびりちびりと今日を振り返ろう。

 列車は篠ノ井から姨捨駅へ向かう長い勾配を懸命に駆け上がる。"日本三大車窓"のひとつである姨捨の駅からは、真冬の澄んだ空気のゆらめきを透して、善光寺平の夜景が瞬く。ビールで乾杯し、酒を酌み交わしていく。冠着、明科と駅を重ねながら線路の継ぎ目の音を耳にしていると、いつの間にか今日の反省会は終わっていた。


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